札幌高等裁判所 昭和57年(ネ)195号 判決 1986年5月28日
控訴人
白木祐世
控訴人兼控訴人白木祐世
法定代理人親権者母
白木陽子
右両名訴訟代理人弁護士
高野国雄
同
新川晴美
被控訴人
北海道厚生農業
協同組合連合会
右代表者理事
堀野豊夫
右訴訟代理人弁護士
黒木俊郎
主文
本件各控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
1 原判決中控訴人らに関する部分を取消す。
2 被控訴人は、控訴人白木祐世に対し、金二七八五万円及び内金二三八〇万円に対する昭和四七年七月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、同白木陽子に対し、金三五一万円及び内金三〇〇万円に対する昭和四七年七月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。
3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
4 仮執行宣言。
二 被控訴人
主文同旨
第二 当事者の主張
当事者双方の主張は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決の事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する(但し、第一審原告白木英和の請求に関する部分を除く。)。
一 原判決の訂正
1 原判決三枚目表八行目に「一二月二四日」とあるのを「一二月二一日」と改める。
2 原判決五枚目裏一行目の次に、改行のうえ次のとおり付加する。
「(三) ところで、控訴人祐世については、以下に述べるように、一時期黄疸症状を呈した他は、入院以来、呼吸、脈拍、授乳とも正常であり、啼泣や運動も活発であつて、生命に対する危険や後遺症の発生を疑わせる諸疾病はなく、酸素療法を必要とする適応症は存在しなかつたのに、佐々木医師は慢然と長期間にわたつて酸素投与を継続した過失により、控訴人祐世に本症を発症せしめたものである。
(1) 控訴人祐世が出生した昭和四六年一一月二七日午後七時二三分から被控訴病院に移送された同月二九日午後二時ころまでの間、同控訴人には、呼吸不全もなく、酸素の投与もなされていない。
(2) また、控訴人祐世が被控訴病院に収容されてから昭和四六年一二月二一日の酸素投与中止に至るまでの同控訴人の全身状態は次のとおりである。右の経過に照らすと、同控訴人には、未熟児としての生命に不安を生じる症状は全くないし、黄疸も極めて軽度で光線療法によつて容易におさまつている。そのうえ、発育も誠に順調であつて、酸素を使用すべき適応症は存在しない。
① 一一月二九日の状態――呼吸不規則であるが、呼吸困難ではなく、チアノーゼはあるが軽い。浮腫あり。
② 一一月三〇日の状態――四肢末端に軽度のチアノーゼあり。全身冷感、両下肢に軽度の浮腫あり。呼吸安静、脈拍も不整なし。軽い黄疸あり。
③ 一二月一日の状態――黄疸増強す。両下肢浮腫かなり減弱。四肢冷感消失せず。
④ 一二月二日の状態――冷感軽度にあり。下肢に軽度の浮腫あり。軽度の黄疸、発疹あり。呼吸は安静である。
⑤ 一二月三日以降同月二一日までの状態――一時期、軽い四肢冷感、軽い黄疸及び足底部のチアノーゼがあつたが、一二月七日まで異常なし。呼吸、体温及び体重は異常なく成育している。
(3) 呼吸の不規則について
控訴人祐世に不規則呼吸があつたとしても、それは、昭和四六年一一月二九日の入院時だけの一時の現象であり、これは、出生後二日目の未熟児を一一月という晩秋季に素人が転医のため移送したことによるものと考えられ、同控訴人の本体的な疾病ではないから、入院時の緊急措置として一時的な酸素投与で十分である。酸素投与を必要とする呼吸不全は、高度のものに限られ、その症状は腹部膨満、呻吟、陥没呼吸の形となつて現われるところ、控訴人祐世には、右入院時に右症状が存しなかつたことは明らかである。
また、その後の控訴人祐世の呼吸状態をみると、呼吸数は四〇から六〇までの間で極めて安定して正常域にあり、呼吸には異常はない。
(4) 浮腫の存在について
浮腫が存在するから酸素の投与が必要だとの医学的見解は存しないし、浮腫の除去は、児の皮膚を清潔に保ち、塗り薬を使用するだけで十分である。控訴人祐世の場合は、浮腫は軽度なもので生命に影響するものではない。
(5) 低体温の存在について
控訴人祐世の体温は、被控訴病院に入院時から昭和四六年一二月九日まで、三五度以下にあり低い状態にあつた。
しかし、これは、控訴人祐世をあまりにも低い温度で継続保育した結果である。体温回復の遅い控訴人祐世については、保育器内温度を三五度程度に、また湿度を八〇ないし九〇パーセントにそれぞれ設定して保育すれば、容易に低体温から回復できたものであり、体温回復のために酸素を投与する必要もなかつた。
(6) 低酸素症の予防について
低酸素症の予防のために酸素を投与すべきであるとの医学的見解は存しないし、控訴人祐世に低酸素症を疑わせるような兆候もない。僅かにチアノーゼの出現はあるが、全身に発現した悪性のものは一度もなく、四肢末端に軽度に生じただけの継続的なものであり、右チアノーゼは低酸素症によるものではない。」
3 原判決六枚目裏五行目に「指導義務違反」とあるのを「説明義務違反」と、同六行目の「佐々木医師は」から同八行目の「怠つた。」までの部分を「佐々木医師は、自ら右2の眼底検査及び光凝固法を実施することができなかつたのであれば、仮に光凝固法などの治療法が医療水準として当時確立していなかつたとしても、昭和四六年秋ころには、本症に有効な治療法として光凝固法のあることを容易に知りうる状況にあつたから、十分な調査を尽くしたうえ、控訴人祐世の保護者に対し、同控訴人が本症に罹患していることないし罹患する虞のあることを説明し、その検査と治療を適期に受けさせるために、適当な専門医療機関を紹介して受診を勧告する義務があるのに、右各義務を怠つた。」と、それぞれ改める。
4 原判決七枚目表八行目から九行目にかけて「前記1ないし3のとおりの過失」とあるのを「前記1ないし3及び当審において新たに主張した全身管理義務違反並びに治療義務違反の各過失」と改める。
5 原判決一〇枚目表五行目末尾の次に「同四の1の(三)のうち、控訴人祐世につき継続的な酸素療法を必要とする適応症が存在しなかつたことは否認し、佐々木医師の過失についての主張は争い、同(三)の(1)の事実は否認する。」を付加する。
6 原判決三〇枚目裏七行目に「指導義務」とあるのを「説明義務」と改める。
二 控訴人らの新たな主張
1 佐々木医師の全身管理義務違反
未熟児の後遺症なき生存は、未熟児の全身管理の徹底とその一環としての注意深い酸素管理によつて達成可能となる。右全身管理の内容は、①呼吸の管理、②体温の管理(保温)、③栄養管理、④感染防止、⑤眼の管理などである。
ところが、佐々木医師は、右の全身管理義務を怠つた過失により、控訴人祐世に本症を発症せしめたものである。特に、「呼吸の管理」については、請求原因四1(三)に記載のとおりの過失がある。また、「体温の管理」については、一般に未熟児の場合には体温を三六度以上に維持することが望ましいところ、佐々木医師は控訴人祐世の入院時(昭和四六年一一月二九日)から同年一二月九日までの体温が三五度以下という低い状態にあつたにもかかわらず、保育器内の温度を右入院時には三〇度、その後同月四日までは三一度、さらにその後同月二八日までは三二度という低い温度に調整して継続保育をした結果、控訴人祐世の低体温からの回復を遅延させ、ひいてはチアノーゼや浮腫を出現させた過失がある。
2 佐々木医師の治療義務違反
佐々木医師は、控訴人祐世に対し、請求原因四2の眼底検査を実施して光凝固法などの治療を施す義務、さらに、被控訴病院において右の検査治療ができない場合には、これらを施すために同控訴人を他の専門医療機関へ転医させる義務があつた。しかるに、佐々木医師は、右のいずれの義務も尽くさなかつた過失により、控訴人祐世を失明させたものである。
三 控訴人らの新たな主張に対する被控訴人の認否
1 控訴人らの前記新たな主張1は争う。
本症が全身管理によつて予防できるとの医学的証明は全くない。また、本件診療当時は、後遺症を防ぐことよりも、先ずもつて生存そのものを確保すること自体が喫緊とされた時代であり、生存を確保すべく全身管理に留意したのであり、本症を予防するために全身管理をしたのではない。
2 同2は争う。
本件診療当時、光凝固法は本症に対する有効な治療法として確立していなかつたから、佐々木医師には、眼底検査や光凝固法などの治療を実施する義務あるいは他の専門医療機関へ転医をさせる義務は存在しなかつた。
第三 証拠<省略>
理由
一当裁判所も、控訴人らの被控訴人に対する本訴各請求はいずれも失当としてこれを棄却すべきものと判断するが、その理由は、次のとおり付加、訂正するほかは原判決の理由説示と同一であるから、ここにこれを引用する。当審における新たな証拠調の結果によつても右認定判断を左右するに足りない。
1〜3<省略>
4 同<編集・原判決三五枚目>裏六行目の次に、改行のうえ次のとおり付加する。
「なお、坂野医師は、右のように控訴人祐世の呼吸状態が非常に悪かつたので、当時緊急時において一般に使用されていた呼吸賦活剤ロベリンを、同月二七日に一回、同月二八日に二回、合計三回も使用していた。」
5 同裏九行目の「開始した」の次に「(以上の事実は、控訴人祐世が訴外好枝らに伴われていた点を除き、当事者間に争いがない。)」を付加する。
6 原判決三六枚目表末行の「呼吸の」から同裏一行目の「ものの、」までの部分を「呼吸停止の発作は起こさなかつたものの呼吸数は三五から六二の間において動揺が大きく、同月九日から一五日ころまでは三八から五三の間においてほぼ安定していたが、同月一六日から一九日ころまでは三三から六四の間において再び動揺が大きくなり、同月二〇日から二二日ころまでは五〇前後でほぼ安定するという状況であつた。そして、」と改める。
7 同裏三行目の「呼吸数は」から同行の「続いた。」までの部分を「翌日に右チアノーゼは消失したが、同月一九日夜には再び足底部に軽度のチアノーゼが出現した。」と改める。
8 同裏四行目の「一二月八日」から同六行目の「多くなつた。」までの部分を「体温は、入院後一二月四日ころまでは三三・五度前後(最低は同月四日の三三度)、同月五日から八日ころまでは三四・五度前後、同月九日から一五日ころまでは三五度前後、同月一六日から二五日ころまでは三五・五度前後、その後はほぼ三六・五度前後と推移した。なお、保育器内の温度は、一一月二九日は三〇度、同日から一二月四日までは三一度、同日から一二月七日までは三二度に維持されていた。」と改める。
9 同裏六行目の「そして、」から同八行目の「としたが、」までの部分を「そして、一一月二九日午後六時から糖分やミルクの強制栄養補給を開始したところ、一二月九日ころから」と改める。
10 原判決三七枚目表一行目から二行目にかけて「二〇〇〇グラムにまで成育した。」とあるのを「二〇〇〇グラム、昭和四七年一月三日には二五〇〇グラム、同月七日には二六二〇グラム、同月一〇日には二八〇〇グラムにまで順調に成育した。」と改める。
11 同表五行目に「一三・二」とあるのを「一三・三」と改める。
12 同表八行目の「開始」から同末行の「後退した。」までの部分を「開始したところ、総ビ量は同月二日には一三・〇ミリグラム、同月三日には一二・九ミリグラムと下降したため光線照射を中止して観察を続けるうち、同月八日には黄疸も軽度に後退した。」と改める。
13、14<省略>
15 原判決四二枚目表五行目に「五期」とあるのを「五度」と改める。
16 原判決四三枚目裏六行目に「発症する」とあるのを「発症する可能性が高いもの」と改める。
17 原判決四四枚目表六行目の「成立に争いのない」から同裏二行目の「鑑定の結果」までの部分を「<証拠>、原審鑑定人植村恭夫、同吉岡一の各鑑定の結果を総合すると、次の各事実が認められ、黒部信一作成の鑑定意見書(甲第二七八号証)及び当審証人黒部信一の証言中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし措信できない。」と改める。
18 原判決四七枚目表二行目の「述べ、」の次に「昭和四三年一二月刊の「新生児重症黄疸と交換輸血」(乙第七〇号証の一ないし四)においては、「児の酸素欠乏をきたすような異常があると、間接ビリルビンの蓄積を招来し、黄疸発生の重要な原因となる。さらに酸素欠乏状態下では血管壁透過性も上昇するため血管外漏出の可能性が大となり、核黄疸発生に傾きやすい。」とされ、」を付加する。
19 同表五行目に「供給すべきであ」るとされ、」とあるのを「供給すべきである。黄疸が強くなれば、低酸素症予防のため酸素吸入をしなければならない。」旨指摘され、」と改める。
20 原判決五一枚目表八行目の次に、改行のうえ次のとおり付加する。
「すなわち、本件当時、本症発症予防のためには、保育器内の酸素濃度を四〇パーセント以下に止め、酸素の投与期間を極端に長期化させないようにすべきであるとの知見が、一般の臨床医間の共通の認識となつていたものということができる。」
21 同裏六行目に「昭和四三年に本症の二例」とあるのを「昭和四二年三月から五月にかけてオーエンス二期(網膜期)から三期(初期増殖期)に移行した未熟児二名」と改める。
22 同裏七行目の「従来」の次に「成人の」を付加する。
23 原判決五二枚目表一行目の「報告し」の次に「(昭和四三年四月発刊の「臨床眼科」二二巻四号及び同年一〇月発刊の「眼科」一〇巻一〇号)」を付加する。
24 同表四行目に「報告した。」とあるのを「報告し(昭和四五年五月発刊の「臨床眼科」二四巻五号)、さらに昭和四五年六月までに光凝固法を合計一二例に対して施行したこと及び光凝固法が最も確実な治療方法であることなどを報告した(昭和四五年一一月発刊の「臨床眼科」二四巻一一号及び同四六年六月発刊の「日本新生児学会雑誌」七巻二号)。」と改める。
25 同表七行目に「適期としている。」とあるのを「適期とし、」と、同八行目から九行目にかけて「無効であるともしている。」とあるのを「無効であるとも報告している(昭和四七年三月発刊の「臨床眼科」二六巻三号及び同四九年一月発刊の「眼科」一六巻一号)。」とそれぞれ改める。
26 同表九行目の「植村恭夫医師は、」の次に「昭和四五年七月発刊の「小児科」一一巻七号や」を付加する。
27 同裏五行目の「ている。」の次に「しかし、植村恭夫医師が勤務していた国立小児病院及び慶大病院でさえ、光凝固装置を導入したのは、それぞれ昭和四八年と同四九年に至つてであつた。」を付加する。
28 同裏七行目の「又、」の次に「塚原勇医師は、昭和四六年四月発刊の「臨床眼科」二五巻四号において「関西医科大で昭和四四年一一月から同四五年九月にかけて施行した光凝固法の治療に成功したこと及びオーエンス二期から三期に入る時点で光凝固法を施行すべきこと」を報告し、さらに」を付加する。
29 同裏末行の「述べている。」の次に、左のとおり付加する。
「そして、以上の永田医師や植村医師らの報告を受けて各地の先駆的医療機関において光凝固法の追試が行なわれ、光凝固法実施の成功例が次のような眼科専門雑誌上に報告され、本症に対する治療法として光凝固法が有効である旨紹介され始めたが、昭和四六年から同四七年初頭においては光凝固装置を導入して光凝固法を実施することのできる医療機関は極めて限られていた。すなわち、名鉄病院では昭和四四年ころから(昭和四六年八月発刊の「眼科臨床医報」六五巻八号、同年一一月発刊の「現代医学」一九巻二号、昭和四七年五月発刊の「日本眼科学会雑誌」七六巻五号、九州大学では昭和四五年一月ころから(昭和四六年九月発刊の「日本眼科紀要」二二巻九号、同四七年六月発刊の「眼科」一四巻六号)、鳥取大学では昭和四六年から(昭和四六年一〇月及び同五〇年一月発刊の「眼科臨床医報」六五巻一〇号及び六九巻一号)、兵庫県立こども病院では昭和四五年五月から(昭和四六年一一月及び一二月発刊の「眼科臨床医報」六五巻一一号及び一二号、同四七年七月発刊の「臨床眼科」二六巻七号)、県立広島病院では昭和四五年三月から(昭和四六年一一月及び同四七年二月発刊の「眼科臨床医報」六五巻一一号及び六六巻二号)、国立大村病院では昭和四五年七月から(昭和四七年一月及び五月発刊の「眼科臨床医報」六六巻一号及び五号)、名古屋市立大学では昭和四五年一月から(昭和四七年一月発刊の「日本眼科紀要」二三巻一号、同年七月発刊の「眼科臨床医報」六六巻七号、昭和四九年八月発刊の「日本眼科学会雑誌」七八巻八号)、東北大学では昭和四五年一月から(但し、冷凍凝固法も実施。昭和四七年三月発刊の「臨床眼科」二六巻三号、同年八月発刊の「眼科臨床医報」六六巻八号)、大阪北逓信病院では昭和四四年三月から(昭和四八年一二月発刊の「逓信医学」二五巻九号)、それぞれ本症に対して光凝固法を実施して好結果が得られつつあるなどの報告がなされた。」
30 原判決五三枚目表一行目から二行目にかけて「言及したものはない。すなわち、」とあるのを、左のとおり改める。
「体系的に言及したものは少なく、わずかに松村忠樹ら著・新生児の脳と神経(昭和四三年七月発刊)、大橋孝平ら著・最近の眼科治療(昭和四五年一〇月発刊)、小林隆ら著・現代産科婦人科学大系二〇A(昭和四五年一二月発刊)、遠城寺宗徳ら著・現代小児科学大系補遺Ⅱ(昭和四六年二月発刊)、植村恭夫ら著・眼科最近の進歩(昭和四六年三月発刊)、中村兼次ら著・小児科学年鑑一九七一年版(昭和四五年六月発刊)、植村恭夫ら著・四季よりみた日常小児疾患診療のすべて(昭和四六年九月発刊)、市橋保雄ら著・あすへの小児科展望(昭和四七年二月発刊)などにおいて、光凝固法が本症に有効な治療法として存在する旨紹介されている程度であり、光凝固法の適応、治療施行時期、凝固部位や治療方法などについて明確な基準を提示するものは存在しなかつた。また、」
31 <省略>
32 同表八行目の次に、改行のうえ次のとおり付加する。
「このように、昭和四六年から同四七年初頭においては、各地の先駆的研究者が光凝固法の有効性を追試してその有効性の有無の確認をなしている段階に止まるものであり、好結果が得られた旨報告されていたのは、その後の研究により自然治癒傾向の強い型に対するものであつたことが確認されている。結局、光凝固法の適応、治療時期及び方法に関する統一的な基準が一応提示されたのは、厚生省特別研究費補助金による昭和四九年度研究班による同五〇年の「未熟児網膜症の診断および治療基準に関する研究」報告によつてである。同報告は、オーエンスの分類のように段階的な進行をたどる型のほかに昭和四五ないし同四六年以降に発見された急激に進行して網膜剥離に至る激症型が存在し、各病型に応じた治療の適応、治療時期及び治療方法を検討すべき必要があるにもかかわらず、これらについて眼科医間に見解の一致がみられないため治療基準の統一が要請されることから、本症の診断と治療の一応の基準として提示されたものであつた。右基準は、その後、厚生省特別研究費補助金による昭和五七年度研究班の「未熟児網膜症の分類(厚生省未熟児網膜症診断基準、昭和四九年度報告)の再検討について」と題する報告による診断基準の一部改正を経て、本症の診断及び治療の基準として広く採用されている。」
33 同表九行目に「そして、現在では、」とあるのを「しかし、現在においても、本症の原因及び機序についての解明は明確になされておらず、」と、同末行に「右に概観した」とあるのを「前記各種」とそれぞれ改める。
34 原判決五四枚目表四行目冒頭から同八行目末尾までの部分を「以上要するに、本症に対しては、現在においても、光凝固法が有効な治療法であるとする見解とこれに批判的な見解とが対立し、未だに光凝固法の有効性の有無についての検討が続けられている状況にある。」と、同裏末行に「昭和四六年六月号」とあるのを「昭和四六年三月号」とそれぞれ改める。
35 原判決五五枚目表九行目に「昭和四一年に初めて」とあるのを「昭和四〇年前後ころから」と、同末行に「本症について」とあるのを「本症の発症を酸素投与の抑制により防止するため生後三週間から三か月まで週一回の定期的」とそれぞれ改め、同行に「(雑誌「臨床眼科」)」とあるのを削除する。
36 同裏五行目の「その後も」から同六行目の「強調した。」までの部分を「その後も次のような小児科系の専門雑誌その他において論文を発表して、光凝固法施行の適期を判定するうえで定期的眼底検査の必要性を強調した。」と改める。
37 同裏六行目の「すなわち、」の次に「昭和四五年七月発刊の「小児科」一一巻七号や」を付加する。
38 原判決五六枚目表一行目に「専門的医学雑誌」とあるのを「専門分科的医学雑誌」と、同表二行目の「医学体系書」から同三行目末尾までの部分を「眼科、小児科及び産科の医学体系書などの成書においては、定期的眼底検査の必要性やその方法及び検査結果に応じた明確な酸素投与の基準や光凝固法の治療基準を具体的に示すものは殆ど存在しなかつた。また、当時においては、眼科的管理の人的及び物的設備が充実し、産科と眼科の連携体制が確立され、定期的眼底検査も実施しているような医療機関は、全国的にみても極めて少なかつた。」とそれぞれ改める。
39 原判決五七枚目表九行目に「あつた。」とあるのを「あり、光凝固法を未熟児に対して実施したのは同四九年五月が初めてであつた。」と改める。
40 同裏一行目末尾の次に、「また、市立札幌病院には、昭和五〇年一一月現在、未だ光凝固装置は導入されていなかつた。なお、昭和四六年一〇月ないし一二月当時、函館市内の江口眼科病院、旭川市内の市立旭川病院及び北見市内の宮沢眼科医院においては、未熟児の眼底検査を実施できる状況にはあつたが、光凝固法などの治療法と関連づけて右眼底検査を実施していた事実は認められない。」を付加する。
41 原判決五八枚目裏六行目に「最底限度」とあるのを「最低限度」と改め、同五九枚目裏三行目の「佐々木医師は、」の次に「昭和四六年当時、」を、同四行目の「指針」の次に「(昭和四四年一二月発刊の改訂第六版)」をそれぞれ付加する。
42 原判決六〇枚目表八行目の「依頼した」の次に「(以上のうち、佐々木医師が菅野ベビーについて被控訴病院の嘱託眼科医をして眼底検査を試みたことは、当事者間に争いがない。)」を付加する。
43 原判決六五枚目表二行目から三行目にかけて「その治療法を受診できるよう指導、説明しなかつたからといつて」とあるのを「その治療法を受診する機会を与えるべく、患者あるいはその家族に説明して、右治療法を実施することができる専門医療機関を紹介したり同医療機関に転医させることがなかつたからといつて」と改める。
44 同表七行目の「供給過剰」の次に「(請求原因四の1)」を付加する。
45 原判決六七枚目裏五行目に「二の5ないし7」であるのを「前記二の1ないし7」と改める。
46 原判決六八枚目表九行目の「懈怠」の次に「(請求原因四の2)」を付加する。
47 原判決六九枚目表七行目の「いないし、」の次に「昭和四六年から同四七年初頭において光凝固法の適応、施行時期及び方法について明確な基準を示す成書が存在しなかつたことも前認定のとおりである。」を付加する。
48 同表七行目の「次表」から原判決七〇枚目表四行目末尾までの部分を削除する。
49 原判決七〇枚目表末行に「こと」とあるのを「及び前記四の1(三)の認定説示(現在においても、光凝固法の有効性に関する見解が対立し、その有効性についての検討が続けられている状況にあることなど)」と改める。
50 同裏六行目に「前認定のとおりであるが、」とあるのを「前認定のとおりである。したがつて、眼底検査は、光凝固法が本症に対する安全かつ有効な治療法として確立された場合にこそ、その存在意義が認められて眼底検査実施義務が法的義務となるものというべきである。」と改める。
51 原判決七一枚目裏六行目の次に、改行のうえ次のとおり付加する。
「(五) 治療義務違反(控訴人らの新たな主張2)について
控訴人らは、佐々木医師には、控訴人祐世に対し眼底検査を実施して光凝固法などの治療を施すべき義務を尽さなかつた過失がある旨主張する。
しかしながら、前認定説示のとおり、昭和四六年から同四七年初頭にかけての時期には、眼底検査は当時の医療水準から要求される医師の注意義務の内容とはなつていなかつたし、また光凝固法も未だ医療水準として確立してはいなかつたから、佐々木医師に眼底検査を実施して光凝固法などの治療を施すべき注意義務は存しなかつたものというべきである。
したがつて、控訴人らの前記主張は採用することができない。」
52 同裏七行目に「(五) 指導義務違反について」とあるのを、次のとおり改める。
「(六) 説明義務(請求原因四の3)及び転医措置義務(控訴人らの新たな主張2)違反について
控訴人らは、仮に光凝固法が医療水準として当時確立していなかつたとしても、本症発症の早期発見と治療のため、佐々木医師には、控訴人祐世が本症に罹患していることないし罹患する虞のあることを同控訴人の保護者に説明し、眼底検査及び光凝固法の実施可能な専門医療機関を紹介して受診を勧告すべき義務及び右専門医療機関に転医させる義務があつたと主張する。
そして、原審証人佐々木英樹の証言、原審及び当審における控訴人白木陽子本人尋問の結果によれば、佐々木医師は、右のような説明や勧告をしたり、転医措置をとつたりはしなかつたことが認められる。」
53 原判決七二枚目表二行目に「指導する」とあるのを「説明ないし専門医療機関に転医させる」と改める。
54 同裏一行目に「指導しなかつた」とあるのを「あえて前記のような控訴人らの主張する説明及び転医の措置に及ばなかつた」と改め、同二行目末尾の次に「よつて、控訴人らの前記主張は採用することができない。」を付加する。
55 同裏二行目の次に、改行のうえ次のとおり付加する。
「(七) 全身管理義務違反(控訴人らの新たな主張1)について
控訴人らは、佐々木医師が、控訴人祐世につき、呼吸の管理、体温の管理、栄養管理、感染防止、眼の管理等の全身管理を怠つた過失により、同控訴人に本症を発症させた旨主張するが、右主張は次の理由により採用することができない。
すなわち、まず呼吸の管理については、前記四の1の(一)及び(二)、2の(三)に認定説示のとおり、佐々木医師の控訴人祐世に対する酸素投与に関する一連の判断及び措置は、当時の医療水準からみて合理的な裁量の範囲内のものであつて、控訴人らの主張はその前提事実を欠くものというべく、佐々木医師に呼吸の管理の懈怠はない。
次に、体温の管理については、<証拠>によれば、昭和四六年当時においては、未熟児保育において保育器内の器内温度の管理についての統一的な基準は存在しなかつたこと、佐々木医師が当時参考としていた前掲「小児科治療指針(昭和四四年一二月発刊の改訂第六版)」には、生下時体重一四〇〇ないし二〇〇〇グラムの未熟児については器内温度を三〇度に維持すべき旨、昭和四九年七月発刊の同書改訂第七版には、生下時体重一五〇〇グラムで三四度、二〇〇〇グラムで三三度に器内温度を維持すべき旨、さらに昭和四二年三月発刊の「医学シンポジウム第一六集(全改訂版)」には、生下時体重一五〇〇グラム以上で器内温度を二八・九度ないし三二・二度に維持すべき旨の各記載があり、これらによれば低体温傾向にある生下時体重一七〇〇グラムの未熟児については器内温度を三〇ないし三二度程度に維持すべきことが昭和四六年当時の一般的基準とされていたこと、佐々木医師は、右基準に従い前記二の5に認定のとおり控訴人祐世の呼吸の状態や体温その他の全身状況等の総合所見に照らし、器内温度を昭和四六年一一月二九日は三〇度、同日から一二月四日までは三一度、同日から一二月七日までは三二度に維持して保育をした結果、同所に認定のとおり控訴人祐世の体温は順調に上昇を続け、同月二五日以降はほぼ三六・五度前後の体温が保持されたことなどが認められ、以上の事実によれば、佐々木医師の右措置は合理的なもので、同医師には控訴人祐世の体温の管理について過失はないというべきである。
さらに、栄養の管理については、右各証拠及び前記二の5に認定の各事実によれば、佐々木医師は、生後約四六時間半経過した昭和四六年一一月二九日午後六時から控訴人祐世に対する栄養補給を開始し、同控訴人の全身状況を観察しながら生後一三日目(同年一二月一〇日)ないし一五日目(同月一二日)ころに身体の維持と発育に必要な水分量や熱量及び蛋白質量に到達するような栄養補給をなしたこと、その結果同控訴人の体重や体温その他の全身状況は右同所に認定のように順調に回復し好転していつたこと、同控訴人のような生下時体重一七〇〇グラムの未熟児に対する授乳の開始や増量を急ぎ過ぎると嘔吐や吐物の吸引による窒息などの原因となることが多いことなどが認められ、これらの事実によれば、佐々木医師の措置にかかる程度の飢餓期間を置いて右のような栄養補給をなしたことは、呼吸の確立及び生命の維持のため、当時の医療水準に照らし合理的なもので、医師の裁量の範囲内にあつたものということができる。
また、感染防止については、本件全所拠によつても、控訴人祐世が細菌やウイルス等に感染したことは認められないから、佐々木医師に感染防止に関する管理上の過失はない。
最後に、眼の管理については、佐々木医師が控訴人祐世について自ら眼底検査を実施したり他の眼科医にこれを依頼しなかつたことをもつて診療上の過失ということができないことは前記四の1の(四)及び(五)、2の(四)に認定説示のとおりであるし、その他佐々木医師に眼の管理に関する過失は認められない。
なお、以上の全身管理義務違反に関する認定説示と異なる黒部信一作成の鑑定意見書中の記載部分及び当審証人黒部信一の証言部分は、当時の具体的可能性のある医療水準を十分に顧慮したものとはいえない独自の見解及び前認定と異なる前提事実に立脚して述べられているものであるから、これらは採用することができない。」
二結論
よつて、控訴人らの被控訴人に対する本訴各請求をいずれも失当として棄却した原判決は相当であつて、本件各控訴はいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官舟本信光 裁判官吉本俊雄 裁判官井上繁規は、転補につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官舟本信光)